落語には、おからのでてくる噺がいくつかあります。
■「千早振る」
「千早振る 神代も聞かず竜田川 韓紅に 水くくるとは」
小倉百人一首にあるこの歌。意味を娘にたずねられて困った男が、近所の隠居にききにいったところから、落語がはじまります。物知り(自称)な隠居によると、解釈はこうです。
「竜田川」という相撲取りが「千早」という花魁にふられ、妹の「神代」もいうことをきかなかったので腹をたて、力士を止めて故郷に帰り、実家の豆腐屋をつぎました。数年後、店にあらわれた女乞食に頼まれ、おからをやろうとしてよく見ると、落ちぶれた千早。怒った竜田川は、おまえにはおからはやれんと千早を突き飛ばします。井戸のそばに倒れた千早は、自業自得と井戸に飛び込み、自殺してしまいました。
もちろん大間違いの解釈で、落語のねらいは「知ったかぶりは恥をかく」でしょう。
■「鹿政談」
奈良で豆腐屋を営む男が、朝まだ暗いうちに豆腐をつくっていると、表へ出したおからのオケをひっくり返して、犬がムシャムシャ食べていました。怒った男がそばにあったまきを投げると、当たりどころが悪かったらしくて、犬は死んでしまいます。しかも犬ではなく、神の使いとされる鹿だったのです。これはたいへんなことをしたと町中大騒ぎになり、奉行所でお白州が開かれました。しかしさすが名奉行のお裁き、角がないので犬だということで丸くおさめ、豆腐屋はおとがめなく帰されました。人情裁きの落語です。
どちらの噺も、捨てるおからであっても…というニュアンスで使われているので、かなり昔からおからは「いらないもの」であったことがわかります。